ネコ型オートマトン

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なぜCoinhiveを無断で動かしてはいけないか

kamo.hatenablog.jpCoinhive事件については最高裁に持ち込まれたので有罪無罪が決定した訳ではないが、高裁で有罪判決が出たことに対する遺憾の声があちこちで散見される。高裁の逆転有罪は最高裁判例を作るためのテクニカルな常套手段だという声もあるが、それはそれとして、個人的にやはり無断採掘は適法とは見なし難いと思うので、冒頭に掲げたブログに反論してみたい。

 

リンク先で、著者は自らの意見を次のようにまとめている:

 

プログラマが怒っているのは、

  • Coinhiveと広告は同じものなのに片方だけウイルスはおかしい。
  • Coinhiveは別に悪いことをしているわけでもない。そこらの「ウイルス」とは全然異なっている。
  • 新しい技術はみんなの知らないものなのに、それを「人々の意図に反するもの=ウイルス」というのはひどい。

ということ。

 

 そこで、これら各点に対して順に見解を述べてみたい。

 

Coinhiveと広告は同じものなのに片方だけウイルスはおかしい?

Webサービスの収益確保という点で両者の目的は一致するものの、手段として「同じもの」とは言い難い。冒頭記事のコメントにもあったが、広告は閲覧者が認識できることで、次回も利用を続けるか別のサービスを使うか選択する余地がある。利用し続けるなら、仮に広告を邪魔に感じているとしても、少なくとも容認してはいると解することが可能だ。しかし無断採掘となると閲覧者が認識することは難しく、つまり事後的にではあれ容認しているとは見なしがたい。であれば、Coinhiveを設置するなら事前に(明示的に)閲覧者の同意を得るべきであって、この点で同じものとは言い難いのである。

 

対して、最近の広告もバックグラウンドで様々なコードを動かしており、それが許されるならCoinhiveだって、という声も聞かれる。だが、広告の情報収集コードの類いは、つまるところ効率的な宣伝行動、つまり広告を表示するために動いているもので、広告の一部と解することができる(閲覧をやめることで回避できる)。

 

Coinhiveは別に悪いことをしているわけでもない。そこらの「ウイルス」とは全然異なっている?

不正指令電磁的記録に関する罪、いわゆるウイルス作成罪のことを言っているのだと思うが、同罪が真にコンピューターウイルスの作成だけをターゲットにしているのでないことは条文からも明らかであり、どちらかといえば「迷惑プログラム等作成罪」くらいの方が近い。まあ、この点は単に勘違いというものだろうと思われる。

 

また、議論の核はCoinhiveそのものが悪かということではなく、Coinhiveを無断で設置し採掘させたことが罪に当たるかということなので、この点は前項で論じたとおり、少なくとも閲覧者の同意を得ていない行為ではあっただろう。被告にしても、設置当時、同意を得るようにした方が良いのではというアドバイスを受け、その通りだと思ったという主旨のことを書いている。もし閲覧者の同意を得た上で動かしていたCoinhiveが同様に有罪となるなら、それは怒るべきだと私も思う。

 

新しい技術はみんなの知らないものなのに、それを「人々の意図に反するもの=ウイルス」というのはひどい?

新しい技術が世間の反発を招くのはいつの世も同じで、ラッダイト運動のように後からお笑い種となるような社会現象まである。時間が経つにつれて新技術が受け入れられ、社会の発展を促してきたことを鑑みると、こう言いたくなる気持ちもよくわかる。

 

だが、やはりこれも勘違いだと思うのだが、今回の事件についてはあくまで無断で採掘を行ったという点が罪に問われているのであって、「新しくてよくわからないから」有罪になったわけではない。こう主張するのは流石に論点のすり替えというものではないかと思う。

 

最後に

比較的新しい技術に対して旧態依然とした判決が出た、そんな感じの憤慨が多いように見受けられるが、実際には本件の論点はシンプルなものであると思う。サービスの提供者と利用者は、なるべくフェアな立場でなければならないということである。採掘プログラムを目に見えない形で無断で動かすこと、すなわち、利用者がまったく気付けない形で提供者が実利を得ることは、天秤がサービス提供者側に傾き過ぎる恐れがあると司法が判断した、今回の判決はそういうことだろう。Coinhiveそのものが否定された訳ではないことに注意しつつ、冷静な議論がされたらと思う。