ネコ型オートマトン

王様の耳はロバの耳。

平和教育が嫌いである

いわゆる平和教育というのが嫌いである。平和が嫌いだというのではなく、平和を愛し願っていればそれだけで平和になるとでも言いたげな教育方針が嫌いなのである。平和を愛する心というのは平和のための必要条件ではあるが十分条件ではない。平和について知り、愛する気持ちが無ければ平和な世界を目指そうという気概も起きないだろうから、そういう精神を教え込むのは決して無駄ではない。が、その先、具体的にどのように平和な世界を目指すかを考えさせる教育をしなければ、それは充分とは言えない。

 

もっとも、これは私の個人的な体験に基づいた感情だから、他の地域だとか、あるいは最近はもっとましになっているのかもしれない。この時期になるとNHKで太平洋戦争の特番をやるのがお約束になっているが、その内容も年を経るごとに少しずつ変わっている。敗因や、そもそもなぜ戦争に突入してしまったのかを分析し、考察して、反省と教訓を得ようとするものも増えてきた。そういう流れが主流に、もっと言えば中学校教育の現場でも実践されていれば良いと思う。

 

平和教育のおかげで太平洋戦争は国の責任、民衆はただただ被害者だと思っている人も多いが、満州事変からこっち、戦争拡大は当時の世論だった。新聞が煽ったせいだという人もいるが、消費者からの評判が良くなければ、新聞だってそんなことを継続的に書いたりはしない。ソ連の工作もあったとはいえ、あの戦争の責任は当時の大衆自身にあったと言っても過言ではない。

 

無論、当時も戦争に反対した人はいた。政府や軍部の中だけではなく、市井にも彼我の国力差を冷静に見極めて、勝てるはずがないと考える人もいた。だが、ほとんどの国民はそうではなかった。それで、世論が開戦を後押ししてしまった。だからこそ、ひとりでも多くの国民に「正しく平和を求められる」教育が必要なのだ。「平和を愛する」感情だけを支えにするのでは、反対側にも簡単に煽動されてしまう。実際、マスコミに煽られるだけでそれが正義だと思い込んでしまう人は想像以上に多い。最近で言えば2009年の民主党政権誕生などはその好例だろう。

 

幸か不幸か最近はマスコミの影響力がかつてに比べて弱くなってきて、あれだけのバッシングにも関わらず現政権を打倒することはできていない。しかし、それに代わってネットでは様々な怪しげな言説が大手を振るっている。形を変えただけで、むしろ煽動される危険性は潜在的には増しているとさえも言える。国民ひとりひとりが冷静に判断して国を正しくコントロールできてこそ、真の平和国家を築くことができる。そのために、合理的な平和教育が推進されることを望むし、最近の学校教育がそのように改善されていることを願っている。